アメリカでの療育・1


[ECE]


99年3月(3歳1ヶ月)こうくんは、公立小学校付設の

ECE(Early Childhood Education)に入った。


ECEは6歳になった際キンダー(年長)の授業についていく事が難しいと予想される

3歳から5歳までの子供達のための一日3時間のプログラムで、

1クラス10人の定員に教師が2人つく。

入る前にこうくんのIEP(個別プログラム)が立てられ、

3ヶ月毎に進度状況や問題点などが話し合われた。

いい先生だったし個別にプログラムを立ててくれるなんてさすがアメリカだと思い、

感謝した。

けれど、肝心のこうくんは相変わらずマイペースで多動もひどくなっていた。

先生の指示が理解出来ないのはクラスでこうくんだけだったし、

こうくん一人のせいでクラス中がメチャメチャになるのが本当に申し訳なかった。


99年9月(3歳7ヶ月)、年度が改まり、それまで市内の公立小学校のいくつかに

点在していたECEが一カ所に集められた。

午前と午後併せて10クラスのECEになると聞き、100人もいるならきっとこうくんと

同じタイプの子もいるに違いないと思ったし、今年度からはパーソナルアシスタント

がついてくれる事になっていたので、とても楽しみにしていた。

けれど、ここでもやはりムチャクチャなのはこうくんだけで

肩身の狭い思いは変わらなかった。

椅子も教具もこうくんだけが他の9人と違っていた。

別のクラスにAutisum(自閉症)の生徒は何人かいたけれど、みんな多少言葉が

出ていたし、「四六時中捕まえていないと危険」な子はいないようだった。

ECEにこうくんの居場所はなかった。

こうくんと同じタイプの自閉症の子は一体どこにいるんだろう

どこに行けばこうくんが必要としている教育が受けられるのだろう。

ECEは素晴らしいプログラムだったけれど、

こうくんにはもっと多くの配慮と介助が必要だった。

スクールバスで帰ってくるこうくんを見て、友人達は皆口を揃えて

「アメリカで良かったね。日本じゃこうはいかないよ」と言った。

確かにそうなのかもしれない。

日本でIEPを立てて無料で療育してくれる所などないのかもしれない。

けれど母は学校にこうくんの様子を見にいくたびに悲しくなった。

こうくんは正当な扱いを受けていないと感じていた。

父母がもっと英語に堪能で、もっとアメリカの教育に通じていれば、

こうくんにふさわしい場所を見つけられたのかもしれない、そう思うと悔しかった。


[PECS]

ISU(イリノイ州立大学)のスピーチクリニックで自閉症児のための

スピーチセラピーをしているという事を知ったのは、99年の6月初めだった。

すぐに主治医を通して申し込みをしたが、大学が夏休みに入っていたため

最初の面談は9月中旬。

既に秋のセッションは始まっていたので、実際にセラピーが始まったのは

2000年の1月からだった。


スクリーニングの結果、こうくんはPECS(Picture Exchange Communication System)

を使って、絵カードによるコミュニケーションの修得をめざす事になった。

さすが大学だけあって、親は別室のモニターでセラピーの様子を見ることができた。


セラピーの初日は悲惨だった。

こうくんは、目の前に大好きなポテトチップがあるのに貰えないので

(セラピストに絵カードを渡さないと貰えない)

暴れまくり、セラピストの顔に蹴りを入れ出血させてしまった。

アシスタントの学生のスカートもドロドロだった。

こんな時、アメリカ人はなんと言って謝るのだろう。

母は申し訳なくて泣きそうだった。


でも

週3回のセラピーでこうくんは少しずつだが確実に変化していった。

3ヶ月後には1枚のカードならほぼ100%手渡せるようになった。

セラピールームには椅子とテーブルが置かれ(以前は床に座ってアシスタントが

暴れるこうくんを後ろから羽交い締めにして行われていた)こうくんはおとなしく

椅子に座ってセラピーを受けていた。

ただ、2枚のカードから欲しいものを選ぶ事はなかなか難しいらしく、

結局できないまま5月を迎え春のセッションが終わってしまった。


3歳8ヶ月
ハロウィーンの衣装
カメラの方を見ることは殆どなくなった
3歳10ヶ月
お指とねんねん毛布でリラックス

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