退院から渡米まで


退院は生後75日めの4月18日。体重3105g。

予定日が4月22日だったことを思えば、かなり順調だったと思う。

退院後は、まだ自力排便ができなかったので綿棒で浣腸したり

腸の動きを良くする座薬を使っていた程度で、

病院でのフォローも3ヶ月ごとといういたって簡単なものだった。


こうくんはよく泣いた。

姉のバボーが飲んでは寝てばかりいる手の掛からない赤ちゃんだったので、

父も母もこうくんの一挙一動にオタオタオロオロしていた。

母乳の間隔もなかなか空かず、半年経っても夜中の授乳はなくならなかった。


生後8ヶ月で断乳したが、ミルクにした途端便の状態が悪くなり、受診すると

「乳糖不耐」だといわれたので、ミルクをラクトレスのものに変えた。


生後10ヶ月、つかまりだちを始めてそこら中を荒らしまくり、バボーと衝突することも

多くなってきた頃、あのキョーフの[夜泣き]が始まった。

泣き出すと2〜3時間は止まらない。

一時間位オンブヒモで背負いようやく寝かせても布団の上に降ろすと

火がついたように又泣いた。

こうくん出産以来、搾乳と授乳で3時間以上まとめて眠るという事がなかった母の

睡眠時間は更に減った。

昼間こうくんが昼寝をしている間に少しでも横になれれば

まだましだったかもしれないが、2歳児のバボーがそれを許してくれなかった。

限界だった。

母は月〜金の5日間を何とかムリヤリやりすごし、

土曜の夜だけ父にこうくんを任せ、

薬を飲んでバク睡するというギリギリの生活をしていた。

この間風邪もよくひいたし、二人揃って滲出性中耳炎だったので

毎日のように耳鼻科に通っていた。

バボーの喘息も一番ひどい時期だった。



そんな生活が5ヶ月ほど続いていた平成9年の5月(1歳3ヶ月)、

こうくんはいつも通っていた病院ではしかをうつされてしまった。

はしか自体も重症だったけれど、その間に中耳炎が悪化してしまい

「後遺症が残るかもしれない」と言われた。


この頃まで、こうくんはごく普通のかわいい赤ちゃんだった。

夜泣きはすごかったけれど、、昼間寝ていたしあやせばよく笑い、

視線だってちゃんと合っていた。

写真を見てもこの時期に撮ったものはしっかりカメラの方を見ている。

父も母もこの時点でこうくんに障害があるとは思っていなかった。

もちろん、極小未熟児だったのだから常に覚悟はしていた。

でも、どこからどう見ても健常だった。

入院していた病院で1歳半検診を受けた時も「2〜3ヶ月の遅れがある分野もあるが

28週だったんだから当たり前」と言われていた。


平成9年10月(1歳9ヶ月)、父の転勤により渡米。

7ヶ月頃
へなちょこおすわり
6ヶ月頃
よだれこぞうだった

10ヶ月頃
年賀用に撮った1枚。しっかりカメラ目線
同じく
10ヶ月頃

1歳8ヶ月
渡米直前。これも見てるでしょ?
1歳8ヶ月
狭い所が大好き

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