[1]ひじきの五目煮
平成8年2月3日節分。
一昨日降った雪のせいで、昨日はそこら中交通渋滞していたらしい。
バボーが3日前からウィルス性の風邪で吐きまくり下しまくっていたがようやく
落ち着いてきたので、今日からおかゆにしようと思っていた。
お腹の赤ちゃんがもうすぐ8ヶ月になって安定期に入るから、来週あたり
伊勢にでも安産祈願に行こうかなんてのん気に話していた。
夕方、ひじきの五目煮を作ろうと思ってひじきを炒めていたら何だか
下腹部が重い。
ここ数日便秘気味だったので「やった〜、出るゾ〜」と喜んで、
鍋の火を消してトイレへ・・・
便は出た。でも、いきんだ時、便じゃない何かが前の方からズズッと下がる
イヤな感覚があった。
焦った。
2人目でちゃんと計算してないが、まだ27週位のハズだ。
2週間前の7ヶ月検診でも全く異常がなくて、医者には「ホントは8ヶ月以降は
2週間おきなんだけど、順調だから1ヶ月後でいいよ」と言われていたのだ。
だから、そんなハズはない。
そんなバカな・・と頭の中で繰り返し、台所へ戻って又、ひじきを炒める。
い、痛い。
うずくまってしまう程痛い。
痛みの合間に他の材料と調味料を放り込み五目煮を作り上げる。
こたつにもぐり込み考えを巡らす。
今の私のこの状況は一体どういう事?
この、5分おきにくる痛みは何?
さっきのズズーッは?
今まで流産や早産と全く縁のなかった私は、27週やそこらで陣痛がくることが
あるなんて想像もしていなかった。
かかりつけの個人病院に電話して状況を説明する。
そして「便秘で定期的に痛くなったりしますか?」と加えた。
この後に及んでも私は陣痛だと分かっていなかった。
「ないわよ。すぐ来なさい。」
看護婦さんはきっぱり言った。
便秘の腹痛だと思っている主人は「えーっ今からぁ?」と
モロにイヤそうな顔をした。
そりゃそうだろう。
でも、私には説明する余裕はなかった。
頭の中を「そんなばかな」「そんなハズない」が交互にぐるぐる回っていた。
院長の「全開しちゃってるよ」の一言で、一気に病院内の空気が変わった。
カーテンの向こうで小児科医でもある院長の奥さんがひっきりなしに電話をかけ、
救急車や受け入れ先の病院を探していた。
土曜の夜ということもあり、その作業は難航しているようだった。
その一方で看護婦さんがバタバタと走り回りガシャガシャと音を立てて
分娩の準備をしていた。
なんの設備もないこんな小さな産院で未熟児を産むなんて絶対いやだった。
でも、看護婦さんはどんどん増えて着実に準備が整っていくのが分かった。
そのざわつきの中で、赤ちゃんが28週と5日めに入っていた事を知った。
遠くの方で「お産になります。全力は尽くします」という院長の声がして、
主人が妙に落ち着いた声で「そうですか。宜しくお願いします。」
と答えているのが聞こえた。
分娩台に上がっても私は全然産む気はなかった。
どうにかしてこの赤ちゃんをお腹の中に留めておく方法はないものかと考えていた。
だから「保育器が温まるまであと2分いきむの我慢してね」と言われても「はいはい
いくらでも我慢します」という感じで、現実逃避していた。
院長の奥さんは、分娩台の脇にある電話にまだかじりついていた。
「はい、いきんで」という院長の声がしたが、もちろんうまくいきめない。
「赤ちゃんに負担がかかるから切るよ」
私は、たった1216gの赤ちゃんを産むのに会陰切開された。
「泣く、泣くよ、この子は・・・」
という院長の声のすぐ後で、赤ちゃんはかすかに泣いた。
暫くして未熟児搬送用の保育器と専門の医師を乗せた救急車が到着し
応急の処置をされた赤ちゃんは別の救急車で遠くの病院へ運ばれていった。
その間、私は当然のことだが分娩台の上に放って置かれた。
涙をふくものがないので枕カバーでふいた。
大きな病院で万全の体制の中でだったら期待も出来るけれど、
こんなぐちゃぐちゃの野戦病院みたいな状況で産んだ1216gの赤ちゃんが
無事に育つわけがないと思っていた。
仮に育ったとしても障害が残るかもしれない。
そんなことばかり考えていた。
数日後、「食事、どうしてた?」と主人に聞いたら
「2〜3日はひじきごはん食べてたよ」という返事が返ってきた。
暫くの間、ひじきの五目煮は我が家の食卓には上らなかった。